上弦の壱・黒死牟(こくしぼう)の正体
「鬼滅の刃」における十二鬼月の中でも孤高の強さと、圧倒的なオーラを持つといわれている〝上弦の壱の鬼・黒死牟〟
その所作はあくまで丁寧、且つ物静かであり、誰にも気配すら感じさせない独特の物腰を持つ「手練れの武士」そのものである。
そのワイルドな長髪に包まれた風貌は、左眼から上半分と右の口角から下半分から頸にかけて「赤い炎の痣」が浮かび、中心をギロリと睨む6つの目が怪しげに光り、尋常ではない雰囲気を醸し出している。(第98・99話より)
今回はこの上弦の壱、黒死牟の正体にスポットを当ててみたいと思う。
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鬼舞辻無惨、細胞の記憶の剣士
黒死牟の正体を考察するとき、まず我々の頭に真っ先に思い浮かぶのは、その昔、鬼舞辻無惨を死の淵まで追いつめた「耳飾りの剣士」の事であろう。
それほど、この鬼舞辻無惨の記憶に刻まれている「耳飾りの剣士」と、黒死牟の描写とが、酷似し過ぎているのだ。そこでまず、この剣士がどういう形で物語に絡んできているのかを順を追って見ていくことにする。
黒死牟と思しき「耳飾りの剣士」の記憶が最初に物語に現れたのは、炭次郎が鬼殺隊に入隊して間もない東京の浅草での事であった。
炭次郎が初めて鬼舞辻無惨と遭遇時に、無惨が炭次郎の耳飾りを目にした瞬間、自分を死へと追いつめた「耳飾りの剣士」の記憶が甦るのである。第13話(単行本2巻)より
激しい感情の昂りを見せた鬼舞辻が直接剣士を思い出す最初で最後のシーンで、鬼舞辻はこれを機に、執拗に炭次郎に追っ手を向けるようになる。
鬼舞辻にとっては、それだけ身も凍る思いをさせられた存在が「耳飾りの剣士」なのであり、彼にとって忘れたくても忘れられない恐怖の象徴となっていることは間違いない。
次に、上弦の鬼達が視た無惨の記憶を見ていくと―――
上弦の陸・堕姫が炭次郎と対峙した時に、鬼舞辻無惨の細胞に刻まれた「耳飾りの剣士」の記憶を垣間見る。第81話(単行本10巻)より
上弦の肆、半天狗の分裂体、積怒は炭次郎の後ろに無惨の記憶を通して「耳飾りの剣士」の姿を視る。第113話より などの場面が挙げられる。
上弦の鬼には鬼舞辻の血がより濃く分け与えられているため「無惨の細胞の記憶」を直接見てしまうため「耳飾りの剣士」が度々現れる事となる。
日の呼吸・耳飾りの謎の剣士の正体
では、雰囲気、佇まいが黒死牟に酷似する「耳飾りの剣士」は、一体どういう人物なのか?炭次郎の先祖と何らかの関わりがあるであろう、その「剣士」の事を遺伝の記憶として炭次郎も度々目にする事となる。
次に、炭次郎の遺伝の記憶の中での出来事や、周りの関係者の言葉を手掛かりにして、この「謎の剣士」が一体何者なのかを紐解いていこうと思う。
炭次郎が煉獄家を訪れた時、杏寿郎の父、槇寿郎は、炭次郎の耳飾りを見た瞬間に態度が激変し、炭次郎に喰ってかかる。「その耳飾りを知っている。お前は〝日の呼吸の使い手だろう!」
「日の呼吸は始まりの呼吸。一番初めに生まれた呼吸で、最強の御技。」そう叫ぶ槇寿郎の目には「耳飾りの剣士」が浮かんでいた。第68話(単行本8巻)より
日の呼吸の使い手は生まれつき赤い痣が額にある。槇寿郎は炭次郎に宛てた手紙にもそう記している。第81話(単行本10巻)より
この事から、謎の耳飾りの剣士は日の呼吸の使い手でかなりの凄腕の持ち主であることが明らかである。
炭次郎が見た遺伝の記憶の中で、耳飾りの剣士が炭次郎のご先祖と思しき青年に話しかける。「炭吉、道を極めた者が辿り着く場所はいつも同じだ。」
「私は大切なものを何ひとつ守れず、人生において為すべきことを為せなかったものだ。
何の価値もない男なのだ。」第99話より
やはり日の呼吸の使い手で、その風貌、佇まいは非常に黒死牟に酷似している。
「お侍様の刀は普段は黒いのに、闘う時には赤くなるのね。」炭次郎は、遺伝の記憶の中で無邪気に笑う女性の姿を視ている。第133話より
これは「耳飾りの剣士」が鬼殺隊の源であることを如実に表している。
これらをまとめると、「剣士」は日の呼吸の使い手、もしくは創始者で、後の鬼殺隊の大元でもあり、炭次郎一家にも日の呼吸を伝えた人間で、唯一、鬼舞辻無惨を死の一歩手前まで追いつめた男であるという事が推察される。
さまざまな記憶の断片の時代背景を考えると、「耳飾り」は代々伝承され続けられるため、記憶に登場する「剣士」は2人以上存在したのではないかと思われる。
一人は開祖であり、江戸時代初期に鬼舞辻無惨を追い詰めた「無敵の剣士」。
もう1人は、その剣士の子孫で江戸時代の後期に鬼舞辻無惨に殺され、黒死牟にされてしまった「耳飾りの剣士」なのだ。
上弦の壱・黒死牟(こくしぼう)の真実
では今までの手掛かり、伏線をもとに、少しだけ想像の扉を押し開けて行こうと思う。
江戸のはじめ、日の呼吸の開祖である「耳飾りの剣士」は鬼舞辻無惨を死の淵まで追いつめるが、あと少しのところで取り逃がしてしまう。
そして――――江戸時代後期、かつて鬼舞辻無惨を追い詰めた〝日の呼吸の開祖〟である耳飾りの剣士の子孫である新たな「耳飾りの剣士」は、代々の意志を継ぎ、ただひたすらに技を鍛錬し、鬼舞辻無惨を探し求め、諸国を放浪する日々を送っていた。
その途中、鬼に襲われていた炭焼き職人炭吉(すみよし)を助けたことが縁となり、しばらくの間、炭吉家に逗留し平穏で和やかなひと時を過ごすのであった。
その時、継承者となる事を志願した炭吉に「日の呼吸」を伝授し、免許皆伝の証である新たな耳飾りを託し、炭吉の家を笑顔で後にするのであった。
その後、鬼舞辻を追い、放浪の旅を続ける剣士であったが、以前に殺されかけた鬼舞辻は「耳飾りの剣士」を目の敵にしており、逆に先手を打って待ち伏せし、卑怯な手を使って返り討ちにしてしまう。
剣士は、愛する人や一族を、今までの鬼との戦いですべて失い、いいようのない「孤独」と「喪失感」、誰も救えなかった後ろめたさから来る「自分は何の価値もない人間」だという無力感に心を支配され、自分を見失っていたのである。
鬼舞辻無惨は、血気術による催眠をかけて、剣士の目の前に「かつて愛した人」を出現させ、心に大きな隙を作り出し……その〝孤独な心の隙〟を突き、まんまと耳飾りの剣士を殺したのであった。
殺された剣士は即座に鬼へと変化し、鬼舞辻による洗脳を受け、忠誠を誓い、「耳飾り」を千切り捨てて、「上弦の鬼」となったのである。
その時、剣士の持っていた日輪刀は鬼舞辻の実験により「血鬼刀」へと変化させられ、鞘に現れた多くの目が不気味に開かれるのであった。
上弦の壱・黒死牟(こくしぼう)と耳飾りの剣士の関係
これが、今回、黒死牟の正体についてのほんの少しの考察である。
前にも述べたように「耳飾りの剣士が様々な世代で複数いたのでは?」という事を出発点として、想像の翼で大きく羽ばたいてみました。
勿論、これ以外にも無限に物語が存在しますが、それは皆さんそれぞれの想像力の中で創り上げて楽しんでみて下さい。そして、これからも、いろいろな「鬼滅の刃」の荒唐無稽で素晴らしい世界を楽しんでいきましょう!
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